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浜田省吾

浜田省吾

1952年生まれ、広島県出身。

1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。

デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。

代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。

現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。

Shared Episodes

みんなのエピソード

(1348件)
  • 長いこと「こうしせん」って思っていました
    「しごせん」今は読めます
    省吾さんごめんなさい(_ _;)
    なぜ読めなかったのか
    気付かなかったのか
    いつ「しごせん」とわかったかももう思いだせません
    でも笑えるいい思い出です

    紫陽花 2024/08/04
  • 母が浜田省吾さんが好きで、車の中で良くたくさんの曲をかけていました。その中で私が1番好きな曲がこの曲です!
    切ない気持ちが心に刺さります。

    みさき 2024/08/04
  • 僕には大学時代に知り合った友人がいます。彼は自分の生まれ育った街を離れ、大学生活を賃貸アパートでひとり暮らしをしていました。彼とは共通の趣味である、フォークギターの弾き語りで、意気投合して知り合いました。練習場は彼のアパートです。今思うと私よりも彼が遥かにギターの腕前は高かったです。私も負けずにギターの練習をしたのですが、Fコードのギターの音色が霞んで聴こえるのは僕も知っていました。彼がリードギターを、僕はリズムギターのパートを弾き、メインボーカルは僕が唄い、彼はハモリのパートを唄っていました。そして夢はeasy moneyを貯めて、大学生活の締めくくりの記念として、レコード製作を行うことでした。
    しかし、そう簡単にeasy moneyは溜めることはできず、就職試験に突入しました。
    就職試験に入ったら、お互い時間のすれ違いで、ギターの練習で会うこともなくなってしまいました。お互い大学卒業後は僕は関東のメーカーに、彼は関西のメーカーに就職し、彼と交わすのは年初の年賀状のみになっていました。
    そんな彼から年賀状以外で手紙が届きました。その手紙には学生時代から付き合っていた彼女と結婚する報告と、結婚式への参列と披露宴に参加してほしいと記載されていました。
    披露宴では余興として久しぶりにギター演奏しようという文字が太字で書かれていました。
    一緒に音合わせを行ったのは結婚式&披露宴当日の1時間程度です。
    学生時代が蘇る楽曲を彼と共に、彼女、そして親族、立席した皆さんの前で無事に演奏することができました。
    その楽曲こそが、浜田さんの君に出会う前は です。
    彼にとっては、奥様になる彼女に出会う前は、
    僕にとっては、彼(お前)に出会う前は。
    今でも、君に出会う前は を浜田さんの声で聴くたびに、彼(お前)とあの頃の僕(自分)を思い出します。ありがとう。君に会うまでは。

    薩摩おごじょ 2024/08/04
  • 娘がまだ中学生の時職員室に用事があり担任の先生ではなく数学の先生と省吾さんの話しになり数学の先生が「想い出のファイヤー・ストーム」が好きと聞き職員室で省吾さんの話しで盛り上がって
    楽しく過ごした事がありました
    省吾さん好きな人と話しをすると自然に笑顔になりますね

    紫陽花 2024/08/04
  • 思い起こせば約13年前。
    インストラクターとして勤務している自動車学校で、当時担当していた教習生から
    『先生、どんな音楽聴くんですか?』
    『いやー、あなた達の世代では知らないと思うよー。一番好きなのは、浜田省吾っていうアーティストなんだけどね。』
    『……?』

    次に教習を担当した時
    『あれからYouTubeで浜田省吾の曲を聴いたんっすけど、めっちゃハマってCD借りまくりました‼︎』
    『へー、そーなんだぁ…』
    ふんっ、社交辞令でテキトーに話を合わせなくてもいいのに…

    その後、自動車学校を卒業し免許を取ってから突然学校に遊びに来て
    『先生、一緒にカラオケ行きましょう‼︎』
    『おー、行こう行こう!』
    イマドキの子と行くんだからイマドキの曲でも歌ってやるかぁーなんて思って行ったら、ヤツはなんと浜省の曲を30曲以上完璧に覚えてきやがった‼︎
    始めて浜省の話をしてから、たしか2〜3週間後の話。(短期間でこの記憶力、こいつバケモノか⁈笑)

    その後、ヤツは1年間上京し、地元に戻って間もなくウチに転がり込んできて同居生活開始。

    今では私よりも熱狂的な浜省ファン。横浜アリーナまで遠征してライブを堪能した後で
    『明日から何を心の支えに生きていけばいいんだ…』
    などと『浜省ロス』に苦しんでいる。

    26歳年下のウチのダンナの話ですけどね(笑)

    遠藤浩江 2024/08/04
  • 30年前の結婚式のキャンドルサービスの時にこの歌をかけながらメインキャンドルに点火の瞬間に「満たされぬ愛~♪両手にかかえて~♪」と流れ会場がドン引きだったけと今ではいい思い出です。

    犬塚真由美 2024/08/04
  • 1981年5月 当時の自分は高校2年生 初めて省吾さんのコンサートに参加。場所は愛知県勤労会館 当時は「ON THE ROAD」と名付けられてなくて、プレイガイドで購入したチケットには「浜田省吾コンサート」と記載 席は「を」(前から14列目)
     コンサートが始まる前、後ろをみると、観客は2~3人いるだけでほとんどが空席。ホールの半分も人が入ってなかった。
     それでもコンサートが始まり 「生まれた所を遠く離れて」(頭のフレーズだけ)から「終わりなき疾走」になったところで、観客が一斉にステージに押し寄せステージ前が人込みになったこと 43年たった今も鮮明に覚えている。
     ちなみに、コンサートの途中、空席を指さして「いつかあそこを埋めてみせる」と省吾さんが言ったことを今も憶えている。だからだろか、コンサートへ行く度 自分の後ろを見て、人(観客)が入っているのを確認する癖がついた。

    ペンとパン 2024/08/04
  • 亡き父は野球が大好きでした
    プロ野球 特に高校野球は夢中で観て応援してました
    どこを応援するというわけでなく「ただ野球が好きなだけ」
    歌詞の通りの父でした
    野球が好きな父とは正反対の私は全く野球のことがわからない観ません学生の時体育の授業でボールを打ったあとあたふたしてたら先生に走れーと言われ走ったと…
    ルールも知りませんでした
    「走る 投げる 取る 打つ」
    あの頃この曲があったら少しは理解してたかもです
    「BASEBALL KID'S ROCK」
    を聴くと夢中で野球を観ていた父を懐かしく想います

    紫陽花 2024/08/04
  • 私自自の体験にはないのですが、この歌の男性が
    とても素敵だなと繰り返し聴いています。

    あきこ 2024/08/04
  • ある日、私がキッチンで料理中、主人は換気扇の下でいつもの様にタバコを吸う何気ないひととき。省吾さんの曲を知らない夫に、花火の中の主人公の男性に理解出来ない私は、「ねぇ?男のひとってさ、今の状況投げ出して何処かに行きたくなる時ってある?」ってたずねた。
    私は、絶対に主人が嫁さんと子供が居て自分達で建てた家。幸せいっぱいでそんな事したくなるわけ無いだろう!って絶対言うと思ってた。しかし、主人の言葉は真逆でタバコをふかしながら「あるよ」と言った。膝から崩れ落ちそうになったのを覚えている。続けて主人は「でもね、男はそれをしちゃダメなんだよ。嫁さんと子供達を路頭に迷わす様な事はしてはいけないんだよ。」と言った。私は、この時に初めてこの花火の主人公の男性が優しくて子供思いなんだと理解できた。稼ぎを全て送り、家族に不自由無く生活出来る状況を作っている。ただ心の影の部分がフッと表に出ただけの人なんだと。
    男性はそんな気持ちが奥底にあり、表に出さないだけなんだと…。せつないね。

    sho 2024/08/04
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