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浜田省吾
ここ数年で
姪っ子がお母さんに、
そして、甥っ子がお父さんになった。
姪っ子は、まだ小さい時、
トランプで負けると悔しがり、
姪が勝つまでやらされた💦
甥っ子は、幼稚園ぐらいの頃、
「チョコレート」と
言えず…「チョチョレート」と言い、
そんな事を思い出す。私は、残念ながら、
子宝には恵まれず、
これもまた人生だなぁって思い
過ごしています。みんな、初めてがある。
お母さん1年生、
お父さん1年生。
これからいろんな事があるだろう。
いろんな事に気付くだろう。
そこから学んで、
「前だけ見て進」んで欲しい。
1日、1日大事に。
KAGOME
2024/09/06
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浜田省吾
大学4年卒業前の2月
付き合っていた彼女はエレベーターガール
会える時間はいつも彼女の仕事帰り
毎週金曜日、彼女の仕事が終わる決まった時間に待ち合わせ、3時間のデート。毎回、終電で別れる繰り返し。
その日だけは違っていた。
いつも遅れてくる彼女が、いつもの場所で待っている。
いつもと違う笑顔と…
いつもと違う髪型で…
「髪 切っちゃった」と…
「今日 失恋するんだ」
俺も今日が最後と決めていて、別れを伝えるつもりだった。一緒に俺の田舎に来てとは言えずに。
変わらず、食事をして、酒飲んで、時間を確認すると
彼女は、俺が誕生日にプレゼントした腕時計をしていなかった。「親に言ってあるから今日はいいの」
翌朝
いつもは、俺が見送るが、その日は、彼女がホームで「夢や希望があるっていいね」と言い残し、俺を送ってくれた。35年前になるなあー。
クラッシャージョウ
2024/09/05
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浜田省吾
親の影響もあり小さい時から聞いていた浜田さんの曲、LIVEに行き始め本格的に好きになったのは15.6歳の頃。当時同い年や近い年代のファンは身近にいなく良さも語り合える同世代はいませんでした。当時、少しずつも急激に進化を遂げていた携帯電話で、ネットサーフィンをしていると浜田さん好きが集まり語ることができるサイトや浜田さん好きな方がつくったブログなどがありたどりつきました。いくつかある中で、同年代であろう人が作成したサイトに辿り着き。隅々まで閲覧した。だんだんとこのサイト主と語り合いたくなり、コメントしてみた。すると返信がありそこから交流が始まった。どうやら住まいは遠くらしいが浜田さんの話やコンサートにいくなど、頻度は多くないもののやりとりは長く続いたし、同じ人を好きになり語り合うことができる喜びに満たされていました。
ある時、その人は浜田さんに憧れもいだき映像系の専門学校に入って上京していると連絡がありまさかの初対面することに! 同年代で同じ浜田さん好きとなれば少しは変わり者なところがあるかも!?とお互い思っていたのか、会ってすぐの彼からの感想が「意外と普通だね笑」だった。この一言は今でも良くも悪くもわたしは忘れられずいまだにその真相は聞けていない…。 ご挨拶もすみ、その日の目的は新宿で公開された浜田さんの歌を題材にした映画を見に行ったのだ。終わった後に感想を言い合えるのも素敵なものだと感じたのは忘れない。それからも、やはり頻度は多くないものの浜田さん話題のメールをし合うなどの交流は続き、ある日彼の学祭でLIVEをやるから時間があれば遊びにこないかと連絡をもらい、やはり演奏するのは浜田さんだと聞きこれは行くしかないと見に行った。ステージには、少し長い髪に浜田さんと同じようにサングラスをし浜田さんをイメージした服装をした彼が楽しそうに、歌い盛り上がっていた。その中の一曲でLove has no prideがはじまったときには、テンションが上がりわたしは最前列真ん中で、PVでみた振り付けをしコーラス部分を一緒に大合唱!観客でこれを躊躇なくできるのはフロアでわたしだけであろう笑 しかし、次第に周りもわたしの振り付けをみてなんとなく一体感がうまれてたきがして少し嬉しくなったのも思い出す。希望や夢にすごく溢れてる彼がわたしにはとても眩しく、違う世界のひとのように感じてたことも同時に。その後は会う機会もなく、気づいたら数年経ちたまたま会うことができた時に少し意見の食い違い?からすれ違い連絡もとらなくなり、次第に取れなくなり…。その時の彼は元気だろうか。そのわだかまりをとることができればいいのにとふとしたとき思い出す。
浜田さんのいろんな曲がもっともっと心に胸に頭に…響く年頃になってきました。
浜省大好きっ子
2024/09/05
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浜田省吾
私が中学生の時
クラスのSくんが早朝アルバイトで新聞配達をしていた。私は彼からきみの家にも配達していることを
聞いて時々手紙を玄関に貼ってみたある朝 新聞と一緒にカセットテープが挟まっていた。当時ラジカセの時代ドキドキしながら流してみる
そこには「陽のあたる場所」の曲だけ録音されていた。初めて聞いた時、まだ若すぎてわからなかったけど歌詞カードがコピーされていて蛍光ペンでラインが引いてあった。
愛だけ愛だけ見つめ季節は過ぎてゆく
なんて素敵な言葉だろうとこの歌を歌っている人が気になり彼に聞いてみた。
浜田省吾っていうんだよ。省吾さんは33歳
私は13歳 大人の男性ラジオを聞いてると「片想い」がよく流れ
省吾さんの事を好きになっていった。彼のお兄さんがレコードを持っていて
他にもたくさんいい曲あるから聴きに来る?と誘われてクッキーを焼いてよく家におじゃましていた。
お互い自分の気持ちは胸にしまったまま
会うたびふざけてばかりいたやがて別々の高校に行き
広島と福岡離れ離れになり
彼とはお付き合いすることはなかったけど
省吾さんを知れて好きになれて私の人生を豊かにしてくれたことに変わりはない。あれから39年
私は今も変わらず省吾さんに恋している。
ささちゃん
2024/09/04
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
彼とはお見合いで出会いました。初めてのドライブの時彼はかなり緊張しているのが何となく伝わってきました。
何か話題を探そうとしているか…。そんな時に「好きなミュージシャンとかいますか。」と聞いてきたので、「私は…」と話そうとすると、「俺は浜田省吾って言う人が大好きなんだけど、でも、テレビにはほとんど出ないので、たぶん知らないと思います。唯一ヒットした曲がカップヌードルのCMに使われたくらいかな」と楽しそうに話してくれました。「そうなんですね。実は私も浜田省吾が大好きで、なぜかいつもサングラスかけていますよね。」「うんうん サングラスを外した顔を見たこと無いよね」
それから一気に話が盛り上がり、浜省を好きになったきっかけの曲は、お互いに「路地裏の少年」。そして、同じアルバムを何枚も持っていること、「やっぱり丘の上の愛はしみるよね」とか「ラストショーも外せない」とか、話が尽きませんでした。
それから結婚も決まり、今ではいつも二人一緒にライブに出かけることが最高の楽しみになっています。本当に素敵な出会いと時間をありがとうございます。浜省には心から感謝しています。