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約33年前省吾さんのコンサートは行った事がなくて行ってみたいなぁと思ってました。妹が何かで見つけてくれてコンサートの申し込みを電話で出来るのを知って何度かかけましたがつながらずその日は仕事だったので諦めていたんですが妹が休みで何度も掛けてくれて通じて行ける事になりました。大阪城ホールで当日券の人の所に並んで見る事が出来ました。ステージを真横から見るというすごい座席でしたが無理に設けてくださって感謝です。へりの音が聞こえてきてかっこいい省吾さんが印象に残っています。その後明るく軽快な曲の時はこちらに手を振ってくださり見にくい座席だとすごく気遣ってくださいました。
配られた冊子にファンクラブ入会募集の紙を見つけてすぐ入会しました。
みかんちゃん
2024/08/24
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高校3年の時、プロミストランドを初めて手にし、心が震えました。'83のライブの興奮は今でもはっきり覚えています。
ずっと私を支え励まし、一緒に泣いたり笑ったり側にあった省吾さんの歌です。思い出深い曲はたくさんあり過ぎます。
5年ほど前に手術を受けることになりました。
当日、不安で何か曲を聴いて待っていようと選んだのが「君が人生の時」でした。生きていくと言うことは、喜び悲しみ日々紡いでいきながら、前を向いて自分らしく歩いていくことなんだ。溢れるほどの愛を大切な人、物、地球に届けたい。元気になったらそんな風に「私の人生」を生きていきたい。って思いました。ちょっと弱気になった私の心に省吾さんの優しい声とメッセージが勇気をくれました。今も心が疲れたら一番に聴く曲です。
ノリーダ
2024/08/24
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去年、長女が結婚式を挙げました。
産まれた時から、ずっと省吾の曲を聞いていた娘。
埼玉スーパーアリーナも一緒に付き合ってくれて楽しんだコンサート。
式場でケーキ入刀の後、お母さんのご紹介ですの時にかかった曲。
シングルになり、朝から晩まで働いて大学を入学させて…
寂しい思いを沢山させてしまったと思ってたのに。感謝の言葉と省吾の曲をかけてもらい、本当に感激して涙が流れました。
辛い時期、楽しい時期、ずっと省吾の曲に私は支えられて生きてきました。本当にありがとうございます。
ちび
2024/08/24
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彼もいち浜省フリークでした
お気に入りは「初秋」でした
彼は
「人間っていつかは死ぬんだよ
だからいがみあうより笑っていたい
俺はそう思いながら女房と過ごしてるんだ」
「笑われちゃうかもだけど、
俺は女房の最期の顔を見たいんだ」
そう言っていた彼は1996年12月、
奥さんよりも先に35歳で亡くなりました
膵臓がんでした
奥さんは
「私は主人の最期の顔を見たくなかった」
と言って泣きじゃくりました
しかし葬儀では、みんなできる限りのつくり笑顔で、
“この歌を思い出して”
と、彼の好きだった「初秋」を流して見送りました28年経った今でも命日には皆んな集まり、墓参りのあと、“清め”で「初秋」を歌ってます
zappi-kun
2024/08/24
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高校生の頃、地元のハンバーガーショップで一緒に働いていた大学生に恋をしました。
4歳年上の彼には同い年の彼女がいたけれど、二人は上手く行っていなかったようです。
彼から時折「海にドライブに行こうよ」とデートに誘われました。
お父さんの車を借りて迎えに来てくれました。カーステレオから流れていたのは省吾さんのアルバム「愛の世代の前に」や「J.Boy」でした。
「すごく良いから」と大絶賛で薦めてくれたので、私も夢中で聴きました。
「ラストショー」に出てくる「星は君…」「月は俺…」の歌詞のところ。
いつも彼はクスッと笑っていました。
誰もいない海で省吾さんの曲を聴きながら、たわいもない話をするのが一番楽しかったです。常に好意的に接してくれたのですが、ずっと片想いのままでした。
勇気を出して「好きです。彼女と別れてください。」とは言えませんでした。
でも、彼は私の気持ちを分かっていたと思います。
もどかしい気持ちのまま、数ヶ月間、友達以上恋人未満の関係が続きました。ある日、ハンバーガーショップの前に彼女が待っていました。彼は彼女を選び、片想いの恋は終わりました。
彼は数年後、その彼女と結婚したそうです。
私も就職後、別の人と結婚しました。参加したライブで「ラストショー」を聴く度に省吾さんの音楽に出会わせてくれた彼の事を思い出します。
彼も省吾さんの音楽を聴き続けてくれていたら嬉しいです。2022年の武道館で「ラストショー」を歌い終わった後の省吾さんが「…歌っていうのは、まるでタイムカプセルみたいにその時々を閉じ込めていて…時々、それを開いて歌ったり聴いたりすると…その時の情景や感情がよみがえる瞬間があります。」と。次に歌ってくれたのが「片想い」でした。あの当時の切ない感情がすぐによみがえってきました。
ファンになって33年、省吾さんの曲はいつも傍らに流れていた「人生のサウンドトラック」です。
曲ごとに思い出があり、耳で聴くだけで当時の情景が浮かんで来ます。省吾さん、長い間、ずっと歌い続けてくださってライブツアーを続けてくださって本当にありがとうございます。
Hiroshima Love
2024/08/24
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僕が浪人生だった頃、40年前の話だ。
大学入学を目指して、詰め込み受験勉強を毎日、同じ浪人仲間と競うようにしていた。
「今日は1日中家に缶詰でやったよ」とか自慢しながら。ある日、近所の貸レコード屋で借りてきた、浜田省吾さんの「Illumination」をカセットテープにダビングしながら勉強をしていた(今から思うと、歌詞付き音楽聴きながらの受験勉強って熱心さに欠けてたな・・・)。
ミッドナイト・ブルートレインが始まり歌詞が聴こえだすと、僕は詩の世界にどんどんはまり込んでいった。
何故かはわからないけれど、涙が流れ落ち、曲が終わってもしばし呆然としてた。
我に返ると、外は暗くなっていて、なんとも表現できない感情に、その体験に驚いていた。「ハマショーいい!」って。ありがちだけど、受験勉強しながら、この勉強なんの意味がある?って思っていた。もっと心躍る体験、音楽聴いたり、バンド仲間とスタジオ行ったり、映画観たり、仲間と語り合ったり、今しか感じられない体験しないでいいのか?って思っていた。でも現実には、そうはいかず「将来のためだ!我慢ガマン!!」と熱心ではなかった受験勉強中心に日々を過ごしていた。
だから、
何処へいくのか 何をしてるのか 時々わからなくなるよ (僕もわからなくなっていた)
過ぎ去っていくレールの上で 時は過ぎてく 瞬く間に 描いた夢と 叶った夢が まるで違うのにやり直せもしい(そう、やりな直せない!)
もう帰ろう みんな投げてて(そうしたい!)
でも何処へ 一体何処へ (僕同じだよ、わからない・・・)こんな感じで、僕は歌詞の世界にどっぷり浸かった。
で、少し救われた気がした。
また、なんで僕のこと知っているの?とも思った。その後、ダビングした、ミッドナイト・ブルートレインを聴きながら、想いに浸り、いつかきっと必ずと思ってた。
ミッドナイト・ブルートレインは僕の青春時代を支えてくれた曲です。最近、浜田さんのライブに行った時、ミッドナイト・ブルートレインを演ってくれて、その時も当時を思い出して何故か涙が止まらなかった。これは、ありがとう、っていう浜田さんへの感謝の涙だ。あの頃の僕に寄り添ってくれてありがとう。
周りのオーディエンスも涙していた、きっとそれぞれに寄り添ってくれた曲なのだ。僕だけの曲ではなくて、ちょっと残念だけど、互いのエピソード話したら、盛り上がること間違いなしだ。
inopapa
2024/08/24
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
高校生の時、初めてカラオケで歌ったのがこの曲です。
35年経って妻や子供達の前で浜省さんのハードロックな曲を歌ってみました。
上手とは言われませんでしたが、「以外!!」「こんな曲もあるの!!」なって言われました。
本物はもっと熱くなる!!
またライブで聞きたい!!!!!!