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1988秋 訃報が届きました。彼は30歳と言う若さで 穏やかな顔で眠っているような顔で逝ってしまいました。
1984年 中学生から大好きだった浜省さんの横浜スタジアムライブがどうしても見たくて、でも厳格な父は一人では駄目と許可してくれませんでした 私には子供のころ本当の兄の様に慕っている従兄弟が居ました 従兄弟の大学受験、私の思春期と重なりいつの間にか連絡が途絶えていましたが 浜省さんのライブ見たさに思い切って 連れて行って欲しいと連絡してみました。従兄弟は快く連れて行ってくれました。それから、月1位で私は東京迄出かけ従兄弟と夜明けまで飲んだりドライブに行ったりスキー、避暑地でテニス 乗馬 と 色々経験させてもらいした。従兄弟と居る時間は新鮮で夢のようでした。従兄弟と車で出かける時何時もは私が持参した浜省さんのカセットテープをかけ従兄弟はラストショーがいいね~と言って、一緒に歌ったり。1988秋 急に従兄弟電話が有り、今度の土曜の夜 こっちにおいで 友達の結婚式が有る。スーツ買わなきゃ 一緒に見てよ!
土曜のよる飲んで、何でもない日なのにネックレス買ってくれて、スーツ選んで
明日は仕事だから帰らなきゃ と言う私
車で家近く迄送るよ と従兄弟
何時もなら上野駅 下りのホーム迄しか送ってくれないのに とても嬉しかった。
でもそれが最後でした 翌週の日曜日 従兄弟が事故で他界した と連絡が有りました
スーツは着ることもなく、ほんとの気持ち 言ってないまま。
シルク
2024/08/01
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この曲を聴くと、ライブが終わって楽屋を出て来る省吾さんに綺麗な人が「良かったわ」と微笑む。その光景が見事に伝わり、当時14歳の私には大人の雰囲
で眩しかったです。
とても素敵なメロディと詩が今でも新鮮に蘇って来ます。
松山 葉子
2024/08/01
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彼は同じ高校のいわゆる不良学生。廊下ですれ違っても目を合わせる事もなく、私とは違う種類の人間だと思っていました。そんな彼が学校を退学になって遠くに行ったと噂で聞いて、やっと学校が静かになると思っていたとき、彼から手紙が届きました。いつも私の事を見ていて、何度か声をかけようとしてたこと。親や学校に迷惑をかけていたことなど今は後悔をして、出直していること。その手紙は優しさが伝わる文章と文字でした。それから遠くに行った彼と文通が始まり、19歳で初めての夜を過ごし、21歳で別れるまでの3年間燃えるような恋をしたけど、彼は夢を追いかけて都会へ、私は親を裏切られずそのまま田舎で暮らすことを選んで、お互いに忘れたつもりでいたけれど、30数年経った時、偶然彼を見つけて声をかけて、お互い何をして過ごしてきたかを話しているうちに、まだ彼の事を好きでいる自分に気づき、若くないお互いにそんな気持ちが残っている事に驚きと恥ずかしさがこみあげてきました。この歌のように何も恐れずに触れ合う事は出来ないけど、程よい距離感で残された人生を歩んでいます。
kyo
2024/08/01
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ある居酒屋でバイトをしていた専門学校生の頃の話です。
高校卒業後、田舎に住んでいた私は都会の専門学校の寮に住み始めました。
バイトも初めて、バイト先には社員さんはもちろん、大学生のお兄さんお姉さんがいて、大人に囲まれて。お酒を飲むお客さんの相手をしながらお酒の名前やおつまみメニューを覚えたりと、それはそれは毎日バイトへ行くのが楽しみでした。まだ19歳の子供でしたが、大人に囲まれてイイ感じな大人になっていく気分でした。そんな中、バイトの大学生の先輩からおでかけに誘われました。私の同級生も一緒にバイトをしており、私は同級生と、彼も大学の同級生を誘って、合コンのような感じでした。
普段から色々仕事を教えてくれる面白い先輩としか感じていず、行ったことのない銚子の犬吠埼の灯台を見に行くことになりワクワクしていました。また、男性とドライブに行くのも初めてだったので、ドキドキもしていました。彼の同級生の運転する車で出発。車内もとても楽しかったです。
その中でかかっていた音楽が浜田省吾さんの「J BOY」でした。
浜田省吾さんの名前も知らず、初めて聞く曲ばかり。それでもアルバムの曲ひとつひとつがスッと耳に入って来ました。そんな中犬吠埼に着き灯台へ。
灯台の上で先輩から告白されました。全然そんな気持ちを持ってくれていたことに気づいていませんでしたのでビックリしました。でも楽しい先輩だったのでOKしました。OKした時の先輩の嬉しそうな顔が今でも思い浮かびます。
帰り道浮かれてる?先輩。なんとなく察してニヤニヤしている私の同級生。私も車内でどうしていいかわからなくて落ち着かない気持ちでした。
そんな中印象的だったのが「19のままさ」でした。
「いつまでも忘れない 今でも目をこうして閉じれば 19のままさ」
ああ、この後年をとっても目を閉じれば今の19歳の今日を思い出すのかな…
と思いながら「19のままさ」を聴いて帰りました。その後先輩に車内でかかっていた曲の事を教えてもらい、そのまま浜田省吾さんのファンになりました。
今でもこの曲を聞くとあの犬吠埼が思い出されてキュンとします!
赤ひげのさおり
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
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もともと好きで良く聞いていましたが、県内ではありますが転勤で当時の彼女と少しはなれていまい、紆余曲折ありましたが、転勤から帰りそのタイミングで彼女に指輪とプロポーズをして今に至ります。